電子書籍の作成・販売ができるサービス「パブー」にて、『グレイト・ギャツビー』を公開しました。あえて有料 (3,000円!) です。
なにがやりたいかというと……本質的にはまあ、売名行為ですね。はい。
青空文庫のおかげでネット上にオープンな古典文献を蓄積するという活動があることはそれなりに知られているとは思うのですけど、プロジェクト杉田玄白をふくめ、そこに翻訳によってかかわるというあり方は、まるで盛り上がらなかったみたいだなあというのが、アクティブでなくなってから10年たった私が、2012年に自分のサイトの移転をしながら感じた印象でして。
需要があまり高くないのは仕方がないとしても、認知度そのものが低いと思うのですね。
そこで、『ギャツビー』を使ってこういう活動があるということを違うプラットフォームに広げてみることにしました。青空文庫で『ホームズ』シリーズや『あのときの王子くん』の翻訳をはじめに精力的に翻訳活動をなさっている大久保ゆうさんもパブーで活動なさっているので、まあ重複はするんですが、『ギャツビー』は今年末に映画化される関係で注目を集めやすいと踏みました。しかも3000円ですよ。あほかコイツと思って1ページめくらいは見てもらえるんじゃないかと。
とりあえずそういう情宣ができればまず目標は達成できるわけですが、そんでもしお金を出してもいいよって人が万が一でてきたとしたら、それはそれでオレとしてはとても嬉しいしありがたい。そして、「こういう展開もありかもよ」っていう、オープンな翻訳活動のまた違うモデルの参考例にできるんじゃないかと。
正直、お金を絡めた話に持っていくのはやっぱり抵抗はあります。でもクリス・アンダーソンの『フリー』を読んでいて思ったんですが、「読者にお金を配るというやりかたは成立しない」んですよね。どこかである程度のなにかを回収しないと破綻してもしかたがない、ということになってしまう。例として適切かどうかわかりませんが、Katokt さんの翻訳にせよ、Osawa さんの『物語倶楽部』にせよ、主体者がリソースをさかなくなれば、そこでおしまいです。
本質的にオレの活動は無償奉仕であって成果物が無償で提供されていることに意味がある。そう、客観的に言えばそのとおりなんだけど、なんというかな、あんまり無償で!とか無料で!とかいうヒステリックな物言いは好きじゃないのですね。無料と聞くと「なんかうさんくさいな」と一瞬身構えてしまったりとか。
そこにエリック・レイモンドたちが言うような「評判モデル」が機能してくれればいいんですが、オレみたいな一般人には、評判と言ってもあんまり意味がないんじゃないか。そうすると、とりあえずはお金に行きついてしまうのかなあ、と、内心ひるみながらも、そう思うわけです。……まあ、パブー版の1ページめにちゃんともっと書いてありますので、そちらも参考にしていただくとして。
とにもかくにも、どんと3000円を積んでくださる方がでてくるのか。あるいは、全然話題にもならずに消失してしまう試みか。さあ、どうなることでしょう。
おまけ。表紙は適当に作ったんだけど、なんかちょっといい感じのように思えてきた。手作り感と適当感のほどよいミックス。
携帯のゲームなんかは、プレイ中に広告を挟むというモデルで収益を上げていますが、そういうことって文章だとなかなかできなそうですね。電子書籍を「探す→読む→共有する」ことが簡単にできるアプリを作って、たとえば50ページごとに広告を入れるというモデルではだめでしょうかね・・・あと、翻訳者のプロフィールのページを作ってLinked Inとリンクさせキャリア形成につなげるとか・・・結局のところ、「無料」というのは消費者が金銭による対価を払う必要がない、という意味合いであって、創作物から利益を得るのを禁じるわけではないんですよ。金銭の代わりに数十秒時間を取ってもらう、消費者の代わりに広告代理店に仕事の対価を払ってもらうというのは、テレビ、ラジオが長年やってきて成功しているモデルですし、情報共有が盛んな現代ならば、ブログにある通り「名を売る」手助けになれば、それは立派な利益になります。
返信削除そもそも、ネットの無料志向ってオープンソースの文化から来ていると思うのですが、オープンソースって決して「タダ」ではないんですよね。バグを報告したり、機能を改善したりするという努力を、コアユーザーがある程度自分の時間を費やして行うことによって成り立っているので、全員が自分の時間をカンパして支えているようなモデルなんです。
「タダ」「無料」と「オープンである」ということの間には、「利益」に対する完全に異なった哲学があるということが消費者によって認知されない限り、コミュニティが先細りしてしまいそうで残念です。なんとかならないもんですかねー?