旧 so-net blog から再録。
インターネット上の活動をほぼ休止してからはや7年経つ。そろそろまた何かをしたいという気持ちがうごめき始めたような気がする。けれど、インターネットの世界はずいぶん様変わりした感があって、正直ちょっと時代についていけていないようだ。
何かをはじめる前に、何がどう変わったのか、いまの自分に何ができそうなのかを知らなきゃいけない。だから、頭の中を整理する意味で、7年前に何をしていたかとか、それから変わった(あるいは、変わったように思える)こと、変わってなさそうなところをちょっとずつ書き散らしてみよう。
とりあえず最初は、7年前までの自分に大きな影響を与えた青空文庫。
はじめて青空文庫を見たのは1998年頃じゃなかったかと思う。その頃はまだまだ作品数も少なかったけれど、物語好きにとっては、夢のようなヴィジョンを抱かせるサイトだった。感動のあまり、当時まだちゃんとメンテナンスしていたリンクページに、「古代図書館」というコメントを入れて掲載したはず――記憶に間違いがなければ「テキスト系」というジャンルの最上段に入れたんじゃなかったか。
そして読者としてフリーライダーに徹すること数年。その間、Ultima Online, EverQuest といった海外のオンラインRPGにのめり込み、それらの情報サイトを運営していく中である程度の英語が読解できるようになってしまうわけだけど、あるときふと気づいてしまうわけです:自分の時間を割いて翻訳して掲載している情報が、ほんの何ヶ月、ときには何日かで無意味なものとなってしまう(どころかときには有害にすら)ことに。こう考えてしまうとオンラインRPGの情報サイトなど運営できるはずもなく、必然的にそれらのサイトの運営を停止したわけです。
ところで「小人閑居して不善をなす」とか昔の人は言ったそうで。サイトの運営を停止したことによる翻訳作業の消失にかえって幾ばくかの物足りなさを感じるようになったところで見つけたのがプロジェクト杉田玄白。青空文庫に一言申す的な姿勢は、実は、非常に気に入らなかったのだけど、趣旨としては正しいと思えた。また、古典の新訳ならそれまでやってきた翻訳と違い、価値の損耗速度が低そうだった。そして、ここを通して活動すれば青空文庫に負担をかけずに青空文庫に寄与するできると踏んだわけで。
まあ、この辺りの経緯は当時の「ぼやき部屋」のほうが詳しいので以下割愛。
その後7年。状況は、変わっているようで変わっていない。
青空文庫の永久機関の夢は、ある程度うまく実現できているようだけれど、完璧なようには思えない。相変わらず、一部特定の人たちの力量に頼るところが大きいように思える。でもそれは、青空文庫を変質させないという意味で、逆に重要なことであるようにも思える。むずかしいところ。
翻訳物の状況はどうかというと、翻訳者の著作権が切れているものが結構出始めているようだ。これはまあ、悪くはないんじゃないかと思う。ただ、素人新訳の受け皿としては、やはりかなり敷居が高そうで、2002年頃とたいして変わっていない。
ちょっと気になるのは、katokt さんの翻訳の存続が怪しい状態になっているところ。オレのことに話が飛んでしまうのだけど、実はここ7年間のうち、2002年中旬~2005年頃までは、物理的にまったくインターネットを使えない状態だったのだけど、それでも月額使用料を投じて自分の翻訳が置いてあるスペースを維持していた。額としてはたいしたものではないんだけど(300円*30月としても9,000円か)、こういった措置を翻訳者がとらなかった場合、青空文庫からは抹消されてしまうことになる。
それはそれで仕方ないのかもしれないのけれど、なにか割り切れないものを強く感じる。青空文庫とのかかわりにおいて翻訳者は「工作員」の一種というのが自分の認識なのだけど、しかしながら入力・校正の工作員と比べて、事後の個人負担が膨らんでしまうという図式が引かれてしまう。
もちろん、恒常的にインターネット上で活動していくのがいちばんいいのだけど……。自分を省みても、それはたやすいことではないし、ボランティア活動での翻訳にそこまで求めるのは結構無理があるんじゃなかろうか。
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